若手大工 〈森田優人〉 『自分の家を建てる気持ちで』

手を動かす大工仕事がしたい

 自分は大仙市出身で、大曲工業高校(建築土木科)を卒業後、すぐに小田島工務店に入社し、今年で7年目の25歳になります。卒業後の就職先を考えていた際、高校の先生には求人票にあった現場監督を勧められていたのですが、自分としてはどうしても現場で大工仕事がしたいという気持ちがずっとあって。
 そんな時、小田島工務店で見習い大工としての求人があり、迷わず入社したという経緯がありました。一応、施工管理や二級建築士などの資格を持ってはいますが、設計など基本座ってばかりいる仕事は嫌で、手を動かす大工仕事に魅力を感じています。

大工のおじいちゃんの背中

 自分には今80歳になるおじいちゃんがいるのですが、そのおじいちゃん自身も大工であるということもあり(今も現役)、幼い頃からその仕事をする背中を見て単純に「格好いいな」と思っていました。高校卒業後、小田島工務店への就職(大工仕事)が決まった時におじいちゃんにそのことを報告すると、「大工仕事ってのは、人には人のやり方があるし、会社には会社の考え方があるんだから、俺はお前に何も教えたりしないからな」と言われたんです。長年大工として働き、現場のことをよく知っていたおじいちゃんだからこそのアドバイスだったと思います。つまり、大工仕事というものは“教えられるのではなく、自分で学べ!”ということなのだろうと、今は受け取っています。

大工の技を残すため

 入社当初、若い人が少ないこの業界で「大工志望なんて珍しいな」と年配の先輩方には言われていたのですが、そんななかで小田島工務店の現場では、棟梁をはじめとして若い人材を大切にしてくれている(面倒をよく見てくださっている)のを日々感じ、ありがたく思っています。今では若い世代の大工も6人と多くなってきましたし、自社で大工さんを10数名も抱えている工務店は、この辺ではあまりないのではないかなと、すごいことだと思います。
 小田島工務店の現場では、今後この業界に大工の技がきちんと残っていくようにするための先行投資を大事にしているように感じます。だからこそ、僕らのような若手の大工を採用し育ててくれているのだろうと思います。これから先の建築業界の状況を見据えた小田島工務店ならではの考え方・姿勢なのだなと、日々感じながら働いています。

みんなの仕事の集合体

 仕事の現場では、これまでも自分なりに考え、自分で作業してはいるのですが、やっぱり棟梁は発想が違うなと思わされるシーンが多々あります。まだ社寺仏閣の現場経験はなく、「刻み(部材を作る作業)」という工程をさせてもらったことはありますが、社寺仏閣などの現場は普通の一般住宅と違って、部材の名前(読み方)一つも分からないというのが、現段階の自分の実力です……。
 壁紙一つ貼るような現場にしても、貼りもの担当の人にとって、自分が担当するような下地がきちんとできていないと最終的な仕上げはキレイにできないんですよね。そういった意味でも、仕事のできる人は下地(見えない部分)が上手いと言われています。そんなところにも、建築の現場とは、そこに働くみんなの仕事の集合体として出来上がっていくものだ、ということを改めて学ばされています。

自分の家を建てる、そんな気持ちで

 木材の値段が上がるWOODショックなんて影響もあって、今はこれまでのように地域にバンバン建築物を増やしていくような状況ではないと感じています。そんな時だからこそ、地域に長く大切にされる社寺仏閣のような建築物などを丁寧に作れるようになれたらいいなと思います。
 それから、まずは周りの人に信用してもらい、安心して仕事を任せてもらえるような、そんな人・大工になりたいと思うし、将来は自分の家を自分で建てたいという気持ちがあります。自分が親と一緒に住んでいる今の家は、自分が4年生くらいの時におじいちゃんが建ててくれた家なんです。だからこそ、なおさら自分で建てたいという気持ちがあるんだと思います。
 俺たちにとっては一年間に何棟かあるうちの一つ仕事ではあるけど、施主さんにとっては一生の中での建物。そういう点では気を使って一つ一つ丁寧に、自分の家を建てるような、そんな気持ちで大工仕事に向き合わなければと思います。